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宮型霊柩車の行く末から捉える葬送認識③ 2010年11月29日

このテーマのブログも第3回を迎え、今月が最後とさせて頂きます。これまでのブログでは霊柩車の歴史から始まり、宮型霊柩車の誕生、全国霊柩自動車協会の働きまた、「淘汰される宮型霊柩自動車」と称し、今現在の宮型霊柩車の置かれている状況をお伝えしました。その過程を知って頂いた上で、最後となるこの度のブログにおいて、テーマとなる宮型霊柩車の行く末と、その視点から捉える葬儀という分野における人々の認識を私なりの解釈で考えてみたいと思います。
では、はじめに第2回<淘汰される宮型霊柩自動車①>に引き続き、<淘汰される宮型霊柩自動車②>より、進めさせて頂きます。
<淘汰される宮型霊柩自動車②>
先月のブログでは、宮型霊柩車の外観が問題となり、宮型霊柩車の侵入を禁止する条例を布いた自治体の話をいたしました。ここでも、同じ宮型霊柩車の外観に関する問題をひとつご紹介いたします。
これからお話する問題は、霊柩運送事業者にとっては、死活的問題であり、かつ宮型霊柩車の存続が問われる難易度の高い問題と言えます。ことの発端は、道路運送車両の保安基準を国土交通省が改正したことにあります。国土交通省は、平成21年1月以降の乗用車(シャーシに乗用車を使用している宮型霊柩車も含む)について、「補助制動灯の義務付け」、「突起物となる装飾の禁止」の改正を打ち出しました。
その目的としているのが、「自動車と人との衝突または接触の際に人が負傷する危険性を減らし、または、負傷の程度を低減する」とあり、改正前当時の政府が重点施策としていた各分野におけるグローバル化の詔により、世界トップクラスである欧州の安全基準を取り入れたとの経緯があるようです。
では、具体的に、「補助制動灯の義務付け」、「突起物となる装飾の禁止」により宮型霊柩車にどのような処置が必要かをご説明いたします。まず①補助制動灯の義務付けですが、改正保安基準では地上より0.85メートル以上の箇所に補助制動を設置するとあります。この規定による宮型霊柩車における設置部分は、後部遺体搬入箇所である扉の辺りになる為、扉周辺の改造。
②突起物の装飾の禁止については、その外観のほとんどが突起物である宮型霊柩車ですので、全面的な改造。①②、いずれの改正基準の場合であっても、宮型霊柩車の「お宮」を全面的改装措置が必要になります。
この保安基準改正に反応したのが、霊柩車を所有する霊柩運送事業所が加入している全国霊柩自動車協会でした。この結果を重く見た同協会は、「伝統ある宮型霊柩車の保全」を訴え、国に対して抗議します。すぐさま行政担当者を招き、霊柩車の外装基準対応の検討会を行い、その席で、『宮型霊柩車は、大正時代初期に自動車の上に輿を乗せて運行したのがはじまり、我国葬送文化の象徴』と協会側が主張しました。しかし行政側に、葬送文化における宮型霊柩車の重要性を説いたところで、通用するわけもなく、撤回の要求が通ることはありませんでした。
我々業界関係者の救いといたしましては、改善された保安基準が突貫的なものであったのか、該当する霊柩運送事業者はもちろんのことタクシー業者の改装が、ことのほか進んでおらず、その措置として一部業者に限り、2017年3月31日まで改正の猶予を与えられたことでした。
この問題の根幹にあるのは、霊柩車が法律上貨物運送事業法に準じているということがあり、その基準から外れる霊柩車独自の法制化が、今業界の中で求められています。
<宮型霊柩車の行く末から捉える葬送認識>
いずれにしても、宮型霊柩車の侵入を禁止した自治体にせよ、この度の国の保安基準改正、またここ旭川市でも3年ほど前に、議論された火葬場におけるごみ箱設置禁止の問題から感じ取ることが出来るのは、葬送という分野が人々にとって『もう特別ではない』ということなのです。人生の終焉を迎える葬儀が、故人はもとより縁に関わる方々にとっても、特別な儀式、貴重な時間ということは誰もが理解しています。それが仮にもの心が付いた子供であっても、その雰囲気から感じ取ることは容易です。(現に私の幼少期、月参りにお寺さんがお見えになっていましたが、両親が共働きの私の家では、姉と妹とお寺様を待ち、お見えになった時には一緒になって一生懸命仏壇を拝んでいたのを記憶しています。要するに幼いながらも、お寺さんがお見えになり、仏壇に納められている先祖の霊を弔うことが大切なことを普段と異なる雰囲気から、何となく察することが出来ました。)しかし、紆余曲折、生活の流れが目まぐるしくそして速いご時世、その中から自分達の時間を見出そうとしている現代人の生活においては、個人や家族の時間を大切にしようとするあまり、「葬送さえも」その生活のひとつ、一部分として捉えられているのです。また、行政に至っては、市民の為と思っていた市民サービスの「ずれ(勘違い)」、国においては冒頭にお話ししたグローバル化の圧力に翻弄され、最終的に、<消えゆく者>に対する考えが、希薄となってしまったのでしょう。
そのようなことから、宮型霊柩車の未来は、その輝やかしい外見そして歴史とは裏腹に、暗雲経ちこめるものとなるでしょう。そしてこれからの葬儀、「葬儀と距離を置く」人たちが担う葬儀の未来も宮型霊柩車と同じ道を歩むのかもしれません。

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