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宮型霊柩車の行く末から捉える葬送認識① 2010年9月10日

<プロローグ>
霊柩車という言葉を耳にしたとき、金色のお宮の付いた「宮型霊柩車」を想像してしまうのは私だけではないでしょう。その貴品、また日本独自の伝統的造り、永きに亘る歴史は、故人を最後の地へ送る重要な役柄を担うモノ(車)として葬送においては、なくてはならない存在であると言えるのではないでしょうか。10年、20年の期間で執り行われる葬儀、私共のお客様の中には、「ご会葬下さった方々や葬儀祭壇、棺、香典返しに何を使ったかなどの葬儀についての記憶が時間と共に薄れる」と言われる方がいますが、「金色の屋根の霊柩車は使ったなぁ」という記憶は深く心に残っているそうです。このことからもお分かりになるように宮型霊柩車の存在の大きさを感じずにはいられないのです。
しかし、「人の送り方」への認識が大きく変容している昨今。葬儀が誰の為に、また何の為に行うのか?ということに迷走している現代人にとって、宮型霊柩車は単に、故人を火葬場へ送る為の道具とされ、また、その存在が淘汰される社会へと変わろうとしています。この度のブログでは、霊柩車が生まれるきっかけとなる明治頃の葬送、宮型霊柩車発祥の歴史、現在の霊柩車事情と社会的必要性、それらの一端をご紹介しつつ、宮型霊柩車が歩む未来から、これからの現代人の葬送認識を捉えてみようと思います。

<明治時代の葬儀と宮型霊柩車のルーツ>
明治時代に入る以前の葬儀は、夜間に少人数で葬列を組み、ひっそりと行われるものでした。しかし明治時代へと移り変わると、夜間行われていた葬儀が、一転昼間に行われるようになり、このことをきっかけに、商人などの富裕層が、己の富を誇示する事を目的に大規模な葬儀葬列が組まれるようになります。また、葬儀規模の拡大と共に、寝棺や輿、さまざまな葬具が登場するなど、葬送文化においては、大きく舵が切られた時代でありました。また霊柩車の登場は大正時代と後のことになりますが、そのきっかけが、寝棺や輿であることから、明治の葬送は後の霊柩車の発展に対しても大きく寄与している時代と言えるでしょう。
では、宮型霊柩車発祥のきっかけの一つである、棺、輿について、少し触れてみます。明治以前、江戸時代の頃、棺には座棺(膝を抱え込み座った状態で遺体が納めるられる棺)が使用されていましたが、明治時代に入り、商人が行う大規模葬に限り、寝棺(寝た状態で遺体が納められる棺)が用いられるようになります。棺は、輿(お祭りで見られるお神輿のような物)に乗せられ、墓所へ向かうことになりますが、そのとき使う輿は、その葬儀限り、そのときの為に新たにしつらえた白木によるもので、この辺りは財力のある商人らしい発想と言えるでしょう。庶民の葬送に至っては、棺は座棺が中心とされており、輿は、駕籠(かご)や金色に装飾した神輿を乗せた人力車(棺車)などの道具を使っています。輿に装飾を施したものを使用したのには理由があり、商人のような財力がない庶民による葬儀の為、何度も使うことが出来るように、装飾により輿を長持ちさせようとしたのでした。もちろん、故人を送る道具としての、絢爛さを表現したいということも装飾の意味にはあったと思います。いずれにしても富裕層なり庶民なり、格差があったとしても、その当時の人々が「出来得る限り特別な形で故人を送りたい」という敬愛の思いが、宮型霊柩車のルーツである輿に宿っているように思われます。
<宮型霊柩車の登場>
霊柩車の登場した時期につきましては諸説あるようですが、記録として存在しているのが、1917年(大正6年)大阪の葬儀社「駕友」、1919年(大正8年)名古屋の一柳葬具店がアメリカより輸入した霊柩車です。そのきっかけとなるのが、1884年(明治17年)「墓地及埋葬取締規則」の制定です。この墓地及埋葬取締規則は、墓地や火葬場の設置が管轄庁の許可した区域に限るもので、この規則により市街地の埋葬や火葬が制限されることになりました。また、これらの規則に並行して都市の開発(道路整備、路面電車)が進み、大正期には大規模葬列廃止の気運が都市圏の市民の間で高まることになり、禁止の動きが加速度を増すことになります。そのような経緯と共に、葬送の縮小化が進み、輿に変わり、いよいよ霊柩車が台頭する時代の到来を迎えます。
さて、先程アメリカから霊柩車を輸入したことはご紹介いたしました。それら輸入した霊柩車には棺を納める霊柩車後部及び収納内部に彫刻や破風などの加工が施されていたのですが、現地で霊柩車を視察した葬儀業者がその共通点に気が付き、日本の葬送文化に受け入れられることを直感し、購入に踏み切ったようです。
しかし、輸入された霊柩車は、あくまでも宗教の違いのある文化よりの賜わりモノ。1920年代頃には、輿を車に乗せた霊柩車、日本人による日本人の為の霊柩車「宮型霊柩車」が誕生することになります。
駕籠、輿、柩車と、人々に求められ形を変えながら発展した、野辺の送りへと故人を導く為の車、宮型霊柩車。その開発に尽力した関係者また生があるわけではありませんが、当の霊柩車自身も、まさか先の未来に『このような』扱いを受けるとは思ってもみないことでしょう。続きは次回ブログにてご紹介いたします。

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