全ての方へ葬送の権利を(生保葬)③
>>>前回ブログの続き
『生活保護世帯が葬儀を行うには①』
4か月前の6月15日、生活保護受給者数が、200万人(202万2333人)を突破したということが、新聞各紙により報じられました。200万人を超えるのは59年ぶりで、戦後の混乱期であった1952年並みの水準だそうです(当時月平均204万人が受給)。
受給者が急増をした背景として、年金の不足や無年金の単身高齢者の増加、リーマンショック以降の雇用情勢の悪化による失業者の増加、また非正規労働者の増加に伴い、失業しても失業給付金を受けることが出来ないなどが理由として挙げられます。またこの度の大震災の影響も大きく、宮城県石巻市など一部自治体を除き549世帯、福島335世帯、宮城116世帯、茨城58世帯、岩手31世帯が生活保護を受けるなど、これからも増え続けることが予想されます。
このような状況を考慮したとき、「生活に困窮している(生活保護受給者)全ての方へ葬送の権利を求めることは困難なことなのでしょうか?」・・・。その答えを古代人の死壮観や葬送における歴史や文化の観点より模索してみたいと思います。
(参考著書:碑文谷創氏 葬儀概論より)フランスの歴史学者のフィリップ・アリエス(1914~1984)によると、4万年以上前に生存していたネアンデルタール人が、協同墓地を作り死者を葬っていたことや、北イラクのシャニダール遺跡で発見されたネアンデルタール人の遺骨周囲の花粉分析により、遺体は何らかの弔いを受け埋葬されていたことが明らかになりました。アリエスは古代人がすでに「何らかの死壮観」を持っていたと推測し、自身の著書「死の文化史」で「人間はみずからが死にゆくことを知っている唯一の動物」であると語ります。
人は、あるときから、「自身の死」を認識します。そのことを認識することは、比較的早いように思われます。現代においては、その象徴が葬送儀礼(葬儀式)であることは言うまでもありませんが、葬儀という形がない古代であっても、死が特別なことであり、故人を偲ぶ気持ちを持っていたことが、このことより証明することが出来ます。
では、時代を進ませ、日本の葬送の歴史に少し触れてみたいと思います。703年、ときの天皇持統天皇がお亡くなりになります。天皇の遺詔(遺言)によると、葬儀は倹約におこなうこととし、「素服と挙哀」を禁止することとしました。「素服」とは質素な白い服のことを指し、喪服としてこれを着用して喪に服します。また「挙哀」は「ああ悲しい」と、大げさに悲しみを表現することをいい、挙哀により礼拝することで、故人を偲んだとされます。この「素服と挙哀」は、厚葬の象徴のひとつとされています。厚葬とは3世紀~7世紀まで続いた古墳文化の古墳などのように、天皇など上流階級を手厚く葬る葬儀の方法のことをいい、この厚葬を行うには、古墳を作る費用や納める宝物や副葬品、労働者を雇う費用など莫大な費用や労力を必要とします。そのことにより民衆の過重な税負担や労働者の無駄な死を招くことから、持統天皇は天皇自身の死をもって厚葬を禁じたのでした。
さきほどご紹介したフランスの歴史学者アリエスにより、発見した古代人の埋葬方法から、限られた環境であっても、残された者が最低限出来うる形で埋葬すること、また過去の葬儀の変遷から持統天皇がその身を呈して訴えた、薄葬(厚葬を禁止し、質素に葬儀を行う)。これらが葬送の基本的本質であることを、紐解くことが出来たように思います。
葬送の本質は、葬儀の大きさではなく、質素であっても故人を送る気持ちが大切であることを感じ取ることが出来ました。生活保護を受けていても、最低限の葬儀をしてあげることは残された者のつとめであると考えます。また、その葬儀を司る者、宗教者や葬儀社、行政はもっとそれらの方々に歩みよる必要があり、変えられる部分に関しては変えてゆく努力が必要なのです。
次回ブログ『全ての方へ葬送の権利を(生保葬)④』
~生活保護世帯が葬儀を行うには②~