変わる葬儀と大切にしたい宗教文化
先日、私が大変尊敬している方の、奥様のお母様がお亡くなり、御弔問そして葬儀の御打ち合わせをさせて頂きました。御葬儀の形式は御遺族様のご希望により、遺族、親族、そして故人様の御友人と、近親者による家族葬形式。御檀家は曹洞宗の寺院で御寺様1名。お越し頂く方への御配慮により、御香典、御供花、御供物を辞退する形を取りました。祭壇にお飾りする故人様の遺影写真は、女性の方がお好みになるパールホワイトの額縁をご希望され、食事関係は、御友人が経営されている仕出し業者へ依頼しました。祭壇につきましては全て洋花とし、弊社ホール(おみはなやメモリーホール)中央に御棺を縦に安置するスペースを設け、そのまわりに花をしつらえました(このような飾り方はキリスト教の祭壇によく見られます)。そして、ご会葬頂いた皆様には故人がご安置されている祭壇を中心に囲むように放射状にお座り頂きました。そのことにより故人様をより近くに感じることができ、随分と皆様お喜びのご様子でした。また式の次第ですが、通常の仏教葬儀とは異なり、通夜開式前と葬儀の途中に、ご長女様よりピアノ献奏を頂き、葬儀の最後には二女様が綴ったお手紙を司会者より朗読いたしました。お二人のピアノ献奏、お手紙は集う皆様の悲しみをいざないました。最後のお別れでは、祭壇の洋花を皆様の手でご献花し、そして一別の上御葬儀は閉じられました。とても優しくそして温かい御葬儀でした・・・・。このように「自由なスタイルによるご葬儀」は、一昔前では、考えにくいものだったと思います。思い起こしてみると以前の御葬儀では、宗教者が先頭に立ち、指示のもと、ご遺族・葬儀社が準備にあたっていました。式自体も慣習に重きを置き、厳粛な中、進行していましたから、中々自由な形で執り行うことは難しかったと思います。しかし現在は随分と葬儀のスタイルも様変わりいたしました。例えば、故人を火葬した後に、お別れ会や偲ぶ会、音楽の中、故人を偲ぶ音楽葬や最近テレビでも話題の通夜・葬儀を行わない「直葬(ちょくそう)」というものもございます。お別れ会や偲ぶ会、音楽葬をご希望する方は、まだまだ、ここ旭川市においては少ないようですが、次第に増えてくるのではないかと推察しています。そして、さきほどご紹介した直葬に関しましてはその需要は年々確実に増えてることは間違いなく。その背景には複数の要因があると考えられています。ひとつに、昨今大きな問題となっている、独居老人問題。「自分の死を見守ってくれる家族がいない」「事情があって、家族はいるが、会えない」などの理由で、自身の死を、施設や役所に任せている人は少なくありません。当然、施設や役所にゆだねますので、お金を掛けることができませんから、直葬を選択せざる得ないというわけです。生活保護世帯にあっても、独居老人の問題と同じようなことが言えます。また現在の不況も理由として当てはまります。超就職氷河期と言われるほど、就職が困難な状況。不安定な職場の経営状況に解雇になる可能性をぬぐえない社員。デフレスパイラルから脱却できない日本国。最後の儀式である葬儀にすらお金を掛けることが困難なご家庭もあるのではないでしょうか。そのことについては、日本の文化である、宗教にも少なからず影響しています。例えば、日本の文化として根ざしてきた仏教。人々は、古来より教育や道徳など人間形成において必要である多くの知識を仏教から学んでいました。現在においても同じで、人の命が粗末に扱われる今の時代、人の命を尊ぶ仏教こそが、命を守る力となっているのです。しかし厳しい現実社会。給料は減らされているのに、税金の値上げや医療費の値上げは生活を圧迫、給食費を支払うことのできない家庭。生活が最優先される今、月命日や回忌法要、お葬式のお布施を支払うこともできず、直葬を選択するご家庭もあるのです。私は思います。葬儀の役割は、故人を偲び、送る為だけのものではありません。日本文化を学ぶ機会であり、社会的常識を学ぶ機会であり、そして人の命の大切さを改めて感じる場であると思います。葬送文化は大きく変わろうとしています。葬儀を行わないという形は、ある意味、究極の形であります。しかし、見つめ直して下さい。亡くなった人がいて、あなたがいることを。先祖を守ってきたのは、宗教者であることを。そして、合掌する心が命を守っていることを。そのように考えたとき、これからの葬儀の理想は、「自由な発想と宗教が垣根を越え融合」していくことであり、そのことが人々の葬送の心と宗教を守ることにつながって行くのではないでしょうか。